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広島地方裁判所 昭和35年(タ)11号 判決 1962年5月22日

原告 島美代子

被告 島千松 〔人名いずれも仮名〕

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告間に出生した長男島清彦の親権者を原告と定める。

被告は原告に対し金一〇〇万円の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「原告と被告とを離婚する、原告と被告間に出生した長男島清彦の親権者を原告と定める、被告は原告に対し金一五〇万円の支払をせよ、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに金員支払部分につき仮執行の宣言を求め、その請求原因としてつぎのとおり述べた。

一、原告は、昭和八年一一月五日、手塚幸夫、手塚サチ子の長女として出生し、広島県海田高等学校卒業後、広島市職員等をした後、昭和二八年頃、当時広島市堀川町所在のバー「エレガンス」を経営していた被告と婚姻を約し同棲して夫婦生活をなし、昭和三〇年九月二二日に婚姻届をしたものであり、その間同月一一日に原、被告間に長男島清彦が出生した。そして、その後、原、被告は昭和三三年頃右「エレガンス」の経営をやめ、原告は同市薬研堀の借店舗でバー「コンドル」を経営していたものである。

二、ところが、被告は、右婚姻後、洋裁師宮田富子、女給大林和子と肉体関係を結び、ことにそれは昭和三四年春頃からはなかば公然となり、後記の原、被告の別居後は、被告は右宮田と広島市南竹屋町所在のアパートに同居して夫婦同様の生活をしていたこともある。さらに、被告は原告に対し殴る蹴るの暴行を常とし、とくに、昭和三三年春頃には一、〇〇〇円が紛失したのを探すためと称し原告を全裸にして殴る等の挙に出たので、原告は居たたまれないで一時家出して上京した。その後間もなく被告の要請によつて、原告は被告のもとに帰り同居したが、昭和三四年春頃からは、被告の前記宮田等との不貞行為と、原告に対する暴行が一そう募り、原告は被告との婚姻生活にたえがたくなつたので同年六月一九日被告のもとを去つて肩書住所の実母のもとに身を寄せ、長男清彦を養育している。

以上は民法第七七〇条第一項第一号及び第五号の離婚原因にあたり、原告は被告と離婚すべく、広島家庭裁判所に調停の申立をしたが、調停成立の見込がなく、昭和三五年七月二一日に右申立を取下げたので本訴により離婚の裁判を求める。

三、原、被告間の子清彦の親権者としては、被告に愛情ある養育は期待しがたいし、被告の素行から子の幸福な成長も保障しえないから、原告を指定されることを求める。

四、被告は、昭和三三年頃前記バー「エレガンス」を代金約五〇〇万円で処分し、その代金のうち一三〇万円を現金または貸金として保有し、右売却代金の残金等で昭和三四年頃入手した広島市大手町一丁目の土地三〇、五四坪、右地上の二階建居宅一棟建坪二七坪を昭和三五年秋頃代金一三〇万円で売却し、同年一一月頃、バー「コンドル」の営業権を一七〇万円で売却し各その代金を取得している。そしてバー「エレガンス」の経営はほとんど原告がその一切を処理し、バー「コンドル」の経営にいたつてはまつたく原告の独力でしたもので、被告はなんらの協力をしなかつたばかりでなく、原告が実家に帰つた当時の「コンドル」の売掛未収金五〇万円をその後回収しておりながら同店の負債四〇万円の支払をしないで債権者をして原告から取立てさせ、さらに、長男清彦は生後間もなく原告の実母に扶養費月約一万円を交付して扶養を託していたが、原告が実家に帰つた後は、被告において右費用を支出しないしその他なんら扶養の措置をも講じないので、原告は貧しい生活に苦しみながら子の扶養にあたつているものである。

右の事実からして、被告は原告に対し離婚による財産分与としてすくなくとも金一〇〇万円を支払うのが相当である。

五、前記二記載の被告の行為は原告の身体、自由、名誉並びに妻としての権利を不法に侵害して原告に精神的苦痛を与えたものであり、これが慰謝料として被告は原告に対し金五〇万円を支払うのが相当である。

六、よつて、原告は、前記二の離婚判決、三の親権者の指定、被告に対し四、五の計金一五〇万円の支払を求めるため本訴に及んだ次第である。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、事実に対する答弁としてつぎのとおり述べた。

原告主張事実中、原告が「エレガンス」及び「コンドル」の経営をした点を除く請求原因一記載の事実、原告が昭和三三年春頃家出して上京し、被告がこれを連れ戻した事実、原告主張の頃被告が「エレガンス」を処分し、その処分金中一三〇万を貸金とし、うち五〇万円の返済をうけた事実、被告が原告主張の大手町の土地、建物を原告主張のとおり処分した事実並びに原、被告が長男清彦をその生後間もなく原告の実母に預けて養育した事実はいずれも認めるが、その余の事実は否認する。原告は離婚原因として被告の不貞、暴行を主張するが、原告みずからも前記の家出上京中、他の男性と情交関係を結ぶ等の不貞行為に及んだものであり、右の事実に徴すると、被告に若干の不貞行為があつたとしても、ある程度容認さるべきで、いまだ離婚原因となすにたらない。また、暴行の点も被告は原告の頬を手拳で殴打したことが数回あるが、それは、被告が上京中の原告の不行跡を強いてとがめないで、その負債一九万円の支払いまでして連れ戻したのに、原告は帰宅後もまつたく反省するところがなかつたため、被告が立服して殴打したものであつて、右をもつて婚姻を継続しがたい重大な事由というにもあたらない。また原告が被告との同居にたえないとしても、それは原告の右のような不貞、無反省な態度に起因するものであつて、原告が謝罪して被告のもとに復帰するのであれば、被告はこれを拒絶するものではない。したがつて、原告の離婚請求は棄却さるべきである。更に、仮に原告主張の離婚原因が認められるとしても、被告は現在無資力であるから、原告の財産分与の請求は失当である。<立証省略>

理由

公文書であることにより真正に成立したと推定すべき甲第一号証、(戸籍謄本)証人手塚サチ子、伊藤真一郎、石田道也の各証言及び原告本人尋問の結果をあわせ考えるとつぎの事実が認められる。

原告(昭和八年一一月五日生)は、広島県海田高等学校卒業後、広島市職員等をした後昭和二九年頃、当時広島市堀川町所在のキヤバレー「エレガンス」を経営していた被告(明治四四年一一月二八日生)と婚姻を約し、同棲して夫婦生活を営むにいたり、昭和三〇年九月二二日に婚姻届出をし、その間、同月一一日に長男島清彦が出生した。原告は、被告と同棲後、右キヤバレーのマダムとして客の接待従業員の監督等に従事して被告に協力していたが、被告が昭和三三年頃同店の建物及び敷地を他に売却して右営業を廃し、同市薬研堀に店舗を借り受け、原告名義で営業許可を得、バー「コンドル」の経営を始めてからは、被告はほとんど営業に従事しないで遊興に過したため、右経営には原告が独力でこれにあたることとなつた。しかしながら、被告は同店の売上金を厳重に管理して、原告にろくに小遣も与えない状態であり、しかも被告は原告との同棲前から交渉のあつた洋裁師、宮田富子と依然として肉体関係を続け、さらに「コンドル」の女給、大林和子とも肉体関係をもつにいたり、他面原告に対しては、原告が営業上男性の顧客に応接するのに強く嫉妬し、そのあげく屡々原告を殴打、足蹴にする暴行を加え、ことに、昭和三三年二月頃には被告所持の一、〇〇〇円が紛失し、それは原告が盗んだものだとし、従業員の面前で原告を全裸にしたうえ、殴打するに及んだので、原告は家出して上京したほどであつた。しかし、ほどなく被告において原告の上京中の負債一九万円を返済するなどして帰宅を求めたので、原告はこれに応じたのであるが、その後も被告の前示宮田等との不倫関係は改まらず、原告に対する暴行も一そう募るにいたつたため、原告は被告との同居にたえかね、かつ婚姻生活を持続することに希望を失い、昭和三四年六月一九日被告のもとを去つて肩書住所の実母手塚サチ子方へ帰り、その後一時上京して昭和三五年一〇月頃までバーの女給等をして生活していたが健康を害したので再び実母のもとに帰り、手内職をして生計をたてて現在にいたつた。原被告間の長男清彦は生後間もなく原告の実母に預け、原、被告において扶養費を支払つていたが原告が被告のもとを去つた後は、被告はまつたく扶養費を支出しないため、すべて原告がその扶養にあたつている。以上のとおり認めることができる。

右認定した被告が婚姻中、前記宮田、大林と肉体関係をもつた点は民法第七七〇条第一項第一号に、また右不貞行為を含め被告の原告に対する暴行等の事実は同第五号の婚姻を継続しがたい重大な事由にあたるものというべきである。被告は、被告に不貞行為があつたとしても、それは前示の原告が昭和三三年二月に家出して上京した際他の男性と情交関係のあつた事実を考慮すると未だ離婚原因となすに足らない旨主張し、原告本人尋問の結果と文書の体裁とに徴し真正に成立したと認められる乙第一、第二号証と原告本人尋問の結果によると、原告が右上京中バーの女給等をしていた関係で異性とかなり親密な交際をし、だらしのない生活を送つていたことを推認し得るが、原告が被告以外の男性と肉体関係のあつた事実を認めるに足る証拠はない。被告の前示不貞行為は原告の右上京前に始まつたものであり、原告が不貞行為をなした事実も認められないのであるから、本件婚姻関係の破綻は専ら被告の責に帰すべきものであり、被告の右主張は理由がない。また、被告は原告が被告のもとに復帰するのであれば婚姻の継続を拒否するものでない旨主張するが上来説明したところと口頭弁論の全趣旨、ことに被告が本人尋問の呼出しにも応じない態度から考えると、被告は婚姻の継続を強く希望するものとも認められず、本件婚姻関係は明らかに破綻しているのであるから、民法第七七〇条第二項の婚姻の継続を相当と認めるべきばあいにもあたらない。

よつて、原告主張の離婚原因事実を肯認しうべきであるから離婚請求は理由がある。

原、被告間の長男清彦の親権者は、清彦の年令その他上来認定した原、被告の生活態度等諸般の事情を勘案し、原告に指定するのを相当とする。

つぎに、原告は被告に対し、離婚にもとづく財産分与として金一〇〇万円並びに被告の不貞、暴行行為による慰藉料として金五〇万円の支払を求めるところ、右慰藉料の前提となる不法行為は、前記認定のごとく被告の有責な離婚原因事実と一致するものである。民法第七六八条の規定にもとづく財産分与の請求がなくたんに、離婚と不法行為にもとづく慰藉料の請求のみの訴訟であればかくべつ、(最高裁判所昭和三一年二月二一日言渡、昭和二六年(オ)第四六九号事件判決参照)本訴のように離婚にあわせ財産分与の請求があるばあいは、右不法行為による慰藉料も財産分与の算定に包含して考慮すればたりるから、財産分与の請求の外に不法行為にもとづく慰藉料請求を独立に認める余地はない。そして本件では原告は右慰藉料を含めて財産分与として被告に対し金一五〇万円の支払を求めるものと解するのが相当である。

そこで、右財産分与及びその額について考えるのに、証人石田道也の証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、被告は昭和三五年一一月頃、バー「コンドル」の営業権を約一七〇万円で処分してその代金を収得し、また、さきに「エレガンス」を処分してえた代金約五〇〇万円の内金で入手した広島市大手町所在の宅地約三〇坪とその地上の二階建居宅一棟、建坪二七坪を昭和三五年秋頃約一三〇万円で処分し、その代金を収得しておるほか、右「エレガンス」の処分金の内同店の債務約二〇〇万を返済した残金を現金及び貸金として計約一〇〇万を保有していること、従つてその後の被告の生活費を控除してもすくなくとも二〇〇万円を超える資産を現に有することを認め得る。そして、さきに認定したところから明らかな如く、右資産の一部は原告が被告との婚姻中被告に協力して維持し、もしくは取得したものであること、被告は婚姻中前示の不貞、暴行の不法行為をなし、これが本件離婚原因を構成するものであること並びにその他原、被告の年令、婚姻継続の期間、前記の被告の資産、離婚後における原告の生活程度等本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、被告は原告に対し離婚による財産分与として金一〇〇万円を支払うのが相当である。

以上により、原告の本訴請求中、被告との離婚を求める部分、子の親権者の指定を求める部分、金員請求中一〇〇万円の支払を求める部分をいずれも正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条但書を適用し、金員支払部分についての仮執行宣言の申立についてはこれを認容しないのが相当であると認められるから、右申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本冬樹 長谷川茂治 小島建彦)

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